市政の会代表コラム連載シリーズ 第五回


「解決に難航する訳」

●問題は ‘それ’ しかない

日本の人口減少の数値が予想より加速度的に増えていて、残念ながら何かの対策が効果をなす時期は過ぎました。この状況で一般市民に何ができるかを考える時に、市民がつくる政治の会の代表をやっているのに矛盾していると感じる人もいると思いますが、全員救おうと考えない方がいいです。みんな無関心、無行動だからです。そういう人たちも助けてあげたいと考える人が多いですが、そんな正義心は承認欲求でしかありません。無駄なだけじゃなくむしろ有害です。

今はサバイバルの時代に突入してきたので、私はもう自分たちの生き残り、自分たちの話の分かる共通認識を持っている人たちと、どうやって生き残っていくかということを考える方が大事で、そういうコミュニティーや人間関係を構築することの方に舵を切るタイミングだと思っています。

もっと単純に言えば、日本人は国が守ってくれる、ソーシャルセキュリティーとかもそうですが、国が豊かだと未だ勘違いしていますね。経済的にも自分たちでちゃんと防衛するとか、お金を持って、力を持ってというような、華僑っぽい発想がありません。その代表は大企業に勤めていれば安泰だという考え方です。
今までは大企業とか公務員などが安定と言われてきましたが、これからはそんなことは通じません。
円安になって海外と開きが出てきてしまっていますが、円安とはすごく簡単に言うと円の価値が下がっているということです。
日本の給料も、海外と比べるとかなり安い状況になってしまっています。
まだ日本は物価が安くてその分給料も安いという感じですが、海外は物価が高くなって給料も高くなっていますから、今海外の人にとって日本は安いものが手に入る国に成り下がってしまいました。つまり、貧困国だと思われているのです。以前は、日本人が東南アジアなど物価の安い国に旅行にいくことがよくありましたが、今逆にそれをされています。そういう国の扱いなのです。
ですから、そのかつてのような経済感覚では生き残っていけません。生き残っていくために何か経済的な対策も考えた方がよいでしょう。自給自足も術を持つのは悪くありません。だたしそれに頼らないということです。
あとは地方の政治家、話が分かる人と繋がっておくと、万全ではないですが困った時に自分たちの身を守るために相談できる可能性があります。
地方議員は行政に対してものをいう立場ではあります。一地方議員でもそれくらいはできるので、その繋がりを持っておくことも大事だと思います。

もちろん全員救うことが出来たら理想的だし、それが出来たら多分、論理的には日本が復活できることにはなるでしょう。
全員を救うことが出来ないのは日本国民の多くが無関心、無行動だからです。だから無理というだけの話です。日本国民全体の政治への関心の問題だと思います。
それしかないという感じです。


●日本人の反発心

日本人が反発心を持っていた時代。
明治維新、一向一揆。一揆は今無いですね。
戦国時代はそれぞれが自分たちの持った理想の為に、いわゆる大陸思想的なものが結構あった時代です。今殺し合いをされても困りますが、戦国でもルールはありました。
戦う感覚が日本人はない。滅亡の時代の今は、ちょっとは考えないといけません。

インディアンも結局戦わないで最後追い詰められました。それでも人がいいので信用してしまうところがあり、最後気づいた時は手遅れになりました。
日本人も実はあまり変わらない所があります。同族だから似ているのです。しかし、それでやっていけるほど甘くはありません。普通にやっても勝てないので、頭を使う必要があるでしょう。

私事ですが、これが発行される頃には「先住民会議」は終わっていると思いますが、私の中でも人生の一大イベントになると思います。それをやろうという人脈ができたのは、日本人の同族のような人が世界中にいるわけですが、皆バラバラなのです。それが少しでも連帯していくとは、そういう人々全体の生き残りに通じる話だと思います。そして日本人がそういった思想を思い返す上でも役立つと思っています。ちょっと希望や期待をかけている面もあります。

環太平洋地域の先住民の人々は、歴史的に見ると占領されたり植民地になったり、滅ぼされてきた人々ですが、モンゴロイドの系列になりとても日本人と似ています。顔もそっくりですね。
イヌイット、インカ、マヤ、インディアン、アボリジニ、ポリネシアン、モンゴル人も同族だと思います。
歴史的に追いやられてきた人たちがタッグを組むのは意味があると思います。
先住民会議をやったからと言って日本の状況が変わる訳ではありませんが、そこで何を学ぶかであり、生き方のヒントにしてくれればよいと思います。


●生物の摂理

最近、女性っぽい男性や、男性っぽい女性が目立っているようにみえます。
恋愛したくない、子どもも作りたくない、結婚したくない、そもそも会話をしたくない。それも自由と言えば自由です。
そういう時期もあるのではないかと言われますが、大体そういう人を見ると家庭崩壊していることが多いです。
嫌だといいながら本能的なものは抑えらなくて、‘出来婚’ などして、もっとドツボにハマっていっています。その行動をとっている真の理由が分かっていないからです。
直接の対策は、西洋医学でいうと痛み止め等でごまかしているだけじゃなく、根源的な理由にアプローチするしかありません。一つは食べ物があまりに狂っていることはありますが、それよりは多分家庭の崩壊だと思います。生き方や家庭の作り方や仕事の仕方などの問題だと思います。

「家庭はいらない」というのが共産主義の発想になります。
共産主義は個人が自分たちの好きなようにというリベラルな考えで、最後はアナーキズムになります。マルクスが「家庭はいらない」と主張することもしかり。共産主義の中でも生物学的に一番問題と思われる思想に引っかかってしまっているのですね。
ですから、根本的な対策を考えるとしたら家族や家庭を見直すことです。これは盲目的に家庭的になれということとは違います。そもそも家族や家庭が何なのかということをちゃんと考えないといけないのですが、そういったことを日本人は言いたがらないですね。

家族や家庭を見直すにあたり、先住民の家庭の作り方というのは非常に参考になります。
基本的に先住民の子どもたちは親を尊敬しています。
親を尊敬する思想としては、中国の儒教がありますが、これは中国の戦国時代に出来た孔子の宗教で、簡単に言うとクソ親でも尊敬しないといけません。この時代は、皆荒みまくっているので親殺し、子殺しが当たり前の世界でした。それに対するアンチテーゼとして孔子の儒教的な発想が生まれました。しかし、それはよくよく考えればおかしいことが分かります。クソ親を尊敬する必要はないですから。先住民は、このような儒教の考え方ではありません。自然と子どもが親を尊敬するのです。親が尊敬に値する人だから尊敬する。ただそれだけです。
先住民は、彼らの中にある生き方や自然の摂理に従ったものを皆がちゃんと守っています。彼らには所有という概念がないので醜い奪い合いもないですから、子どもは皆、親を尊敬するということです。野生動物の親子関係もそういった所がそれなりにあると思います。野生動物の子どもはみんな親になついています。もちろん、そこから子離れ親離れしていかないといけませんが。

究極的には、生き方問題にならざるを得ないのですが、それぐらい出来ないと日本復活は無理ではないかと感じています。日本復活の第一歩は生物の摂理を思い出すということです。


●家庭崩壊

先に話した食べ物の問題や、マンションなどの住環境や核家族化の問題もありますが、所有と新興宗教は家庭崩壊の要因といえると思います。

宗教二世、宗教三世は絶対と言って良いほど家庭崩壊しています。三大宗教が良いとか悪いとかそういう事ではなく、基本的に宗教は全てダメだと思いますが、特に新興宗教は勢力を伸ばす為に、綺麗ごとを言うので、もはや詐欺師です。
そういうことを子どもはしっかりと感じていますから、ますます親子の信頼関係なんてあったものじゃありません。これは宗教二世、宗教三世の家族に非常によく見られます。

また、新興宗教自体に、悪魔崇拝的思想がとてもよく現れていると思います。宗教全般が今や全て悪魔崇拝的だと言われたらそれまでですが、原点に返ればそうではありません。キリスト自身は悪い人ではないし、ブッダだって良いことを言っていました。
しかしそれが組織化されて金が絡んで、偶像崇拝が絡んで国教化されていくと、権力にどんどん利用され、悪魔崇拝側に寄っていきます。これが旧宗教です。

そこから枝分かれしていって新興宗教が出来ていきますが、基本的に新興宗教の教義は旧宗教のパクリでそれにアレンジしているだけです。そこに欲望丸出しで自分たちが教祖になりたいという人が出てきて、又それにすがりたい人が沢山いるのですが、旧宗教に不満を持っている人を集めてきて、ネットワークビジネスのようなやりかたで勧誘し、どんどん集めていけば、はい、組織の出来上がり。
そんな感じで、新興宗教自体が欲望モデルの中で出来たものなので、普通にテレビばかり観ているような一般人でも宗教に対して毛嫌いするのはその背景を感じるからではないでしょうか。
とにかく口先だけなのですが、その綺麗ごとに引っ掛かる人も多いのが現状です。


●右翼左翼でなく両極

インドなどもそうですが、日本人は基本的に王族性を好む精神性、奴隷心が強いと思います。
そのため元々、民主主義が合う精神性の国ではないと思います。だから保守系勢力がまだまだ強いのではないでしょうか。
こう言うと共産主義者だと言われそうですが、私は共産主義の方がより嫌いです。
私は天皇については本にも書いていますが、侵略者だと思っていて、クソ野郎の筆頭だと思っていて神格化もへったくれもありません。
そもそも明治維新というものがあり、現人神信仰と言って、現実の人間の王族を神のようにシンボルとし、それで祭り上げられました。それ以前は将軍でした。将軍というものが出来た、武士が強くなった時代は、公家は名前貸しだけの人々でそんな権力はありませんでした。結局のところ武力には勝てないとう感じでしたが、それを貴族や王族たちに取り返すというのが明治維新の一つの側面でした。
なので、明治維新を賛美する人は似非保守系の人しかいません。
 「大日本帝国憲法万歳」
 「天皇万歳」
そう自分たちが言うことによって、自分たちも上側に居られる、長いものに巻かれる、自分たちを肯定できる(こんなに日本はすごいんだ、俺もすごい)というような思想に、ただ負けているだけの人達とも言えます。そういうことを言うとまた炎上しそうですが。

私が自分で昔から言っている価値観として大事だと思うのは、市民がつくる政治の会は、右翼的思想や左翼的思想に対する囚われがない筈だということです。保守という人々は必ず保守の精神性があって主張があって、それは固まっていてその保守の思想に従わない奴は全部逆賊となります。
革新主義や共産主義も、革新主義や共産主義の思想があってそれも全分野においてどういう精神性なのかがあり、それから逸れていたら同じく逆賊なのです。
市民がつくる政治の会はそもそも右も左もないので、右もクソ左もクソ、そういう感じです。良く言うと、時に右翼的で時に左翼的で、そこには正義はありません。

フランス革命やその流れの中で、保守と革新の対立から右翼と左翼という言葉が出来ました。そうやって分かれるとコントロールする側はとても都合が良いのです。
いつも対立が起こるからで、それを横目に見ている奴らはいつも安泰です。
それの実験台として花開いたのがアメリカです。
アメリカは共和党と民主党という二つの政党を作って、どこまで行くか実験したわけです。右翼的や左翼的な思想では、どちらであっても社会的問題は解決できないのですが、それに希望をかけて依存させ、「どちらかを選ばないとならない」と、貧民に思わせることに成功しました。
そしてアメリカでは、一部の特権階級だけが喜ぶ社会が見事に出来上がりました。

これは政治の話しではなく人類レベルの話しですが、右とか左とかそれにまつわる思想を手放せないと発展はないのです。
政治の言葉で正確にこれを表している言葉はありません。「中道」がそうではないかと思う人がいるかもしれませんが、中道は実際には中途半端なイメージしかないのです。中道左派や中道右派というと主張を持たずとにかく妥協していくイメージなのでしょう。
私の考える政治思想とはとても両極的であって「時にめっちゃ右翼、時にめっちゃ左翼」の思想です。主張がないわけではなくて、むしろ主張は強力で過激であり、混ざっているのが重要だと思います。
そういう風にやっていけたら良いと思っています。
その参考となるのが先住民や歴史がどう動いてきたかだと思います。




〈公式ツクみんCH〉関連動画
2025年日本がなくなるpart4 今私たちにできることは?
2025年日本がなくなるpart5 「家庭がいらない」ことの対策、家庭崩壊の理由、私の考える政治思想

市民がつくる政治の会 入会案内はこちらから